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【ろう者】NPO法人Silent Voice井戸上様インタビュー前編

『知っておきたい!あなたにもできること』


今回は聴覚障がいに関するイベントでもお世話になりました、井戸上様にインタビュー!

前編

 

1Silent Voiceについて


ななこさん:このインタビュー企画でサイレントボイス様にインタビューさせていただきたいと思ったのは、聴覚障がいについて知ってもらいたいと思ったからです。去年もインタビューを行ったのですがもう一回行いたいと思ったのと、ドラマSilentで聴覚障がいについて興味を持った人が増えたなと感じているので、そこについて知識提供することができればいいなと思ってインタビューさせていただきます。よろしくお願いします。


井戸上さん:よろしくお願いします。


ななこさん:ではさっそく内容に入らせていただきます。前回参加してくださったので同じことを聞いてしまうかもしれませんが、改めてもう一度お答えしていただければと思います 。


井戸上さん:はい。井戸上勝一といいます。今年26歳の1996年生まれです。

ななこさん:結構年齢近いですね。では、NPO法人サイレントボイスについて簡単に教えてください。


井戸上さん:聴覚障がいのある、もう少しいうと、耳の聞こえないまたは聞こえにくい子供たちの教育事業を、大阪府を中心に全国まで対象を広げて活動してます。主にやっていることとしては、放課後等デイサービスの運営です。全国に16000箇所くらい、障がいのあるこどもが通う福祉制度で放課後等デイサービスというものがあるんですが、その中で耳の聞こえない子供たちが通える、手話で会話できるところが20箇所くらいしかないんですよ。これは聴覚障がいがある子供の人口に対してすごく少なく、放課後に通う場所がないという課題がありまして、僕たちが5年前に大阪府で初めて、耳が聞こえない子ども専門の放課後等デイサービスを立ち上げたっていうのが一つ目の教室型の事業になります。


井戸上さん:二つ目にやっていることが、オンラインで、手話をできる先生と子供たちが学べる場所というのを作っているということです。教室を作ってから初めて「教室にもなかなか通えない地域の子供がたくさんいる」っていうことに気づきました。大阪の中でも、大阪市内・都市部の人が多い地域には場所を作れるんですけど、そこを離れると本当に子供たちが点在しているので、やはりこう場所を作っても経営的に成り立たないという問題で、なかなか発展してこなかったという課題が本当にずっとありまして。コロナ禍をきっかけに、「オンラインであれば、聞こえない子供の対話の機会・繋がる機会・手話のできる人と何か学びを得る機会というものが作れるんじゃないか」という気づきから、全国を対象として、ローカル地域の子供を中心に、オンラインで手話ができる先生と子供たちが学べる場所というのを作っている、というのが二つ目の取り組みになります。


ななこさん:すごいですね。オンラインで手話って、初めての、なんかあまり聞かない活動ですね。


井戸上さん:そうですね。今でこそ聞こえる子供にとってはオンライン教育とかって学校でも取り入れられてたり、いろんな教育サービスが当たり前になってきたと思うんですけど、やはりそこに手話という言語で学べるものってほとんどないんですよ。要は、聞こえない子供のアクセシビリティが整っていないという問題で。サービスがあっても参加ができない子供がたくさんいる中で、僕たちは、聞こえない子供のコミュニケーション方法に合わせた学び場というところをオンライン上に作ろうと思いました。むしろオンラインの方が、子供と繋がりやすいということにも気づけたっていうのが今のオンライン活動の気づきではありますね。


ななこさん:その教育の内容って、義務教育の教科書の内容に沿ったものなんですか?


井戸上さん:すいません、今赤ちゃんがちょっと後ろに、、。笑

今取り組んでいることとしては二つありまして、小学校低学年の子供でしたら、「言葉の学習を先生と一緒にやっていこう」っていう取り組み、高学年以上・中学生高校生であれば、「学校の中でっていう教科指導」ですね。その子の分かるコミュニケーション方法で教えてもらえるっていう。こういう二つのコースを作ってオンラインの授業をやっています。で、なんで言葉の学習がいるのっていう疑問があると思うんですけど、僕たち、まあ僕も聞こえるんですけど、聞こえない子供のよくある問題として、耳から情報が入ってこないから、目の前のこととか物とか言葉とかのの概念と手話みたいなのが、あまり一致していないというケースがすごくあって。

例えば、「しゃもじ」を手話で覚えているから、この物が「しゃもじ」っていう名前だということを知らないままずっと過ごしていたりとか。ある意味、日本語の情報が耳から入らないから、なかなかインプットされにくいという問題がありまして。意図的に、そういう物事をちゃんとリンクさせていく対話っていうのが非常に重要なんですよ。それをいくら口の動きとか声で伝えてもその子には入ってこないので、しっかりと手話だったりとかイラストとか、見て分かる表現を使いながら、その子の持ってる語彙数とかアウトプットの量を増やすという取り組みを、低学年の子供にはやっています。


ななこさん:私は英語を学習しているのですが、文字を見て・耳で聞いて・発音するっていうこの三つのステップで単語だったり文章を覚えています。でも、自分の声が聞こえない・その発音がなんなのか分からないっていう状態だと、絶対にここまで単語を覚えてこれなかったなっていうふうに思っていて。やっぱり耳が聞こえないっていうことで学習のステップもちょっとゆっくりめだったりとかするんですかね。


井戸上さん:そうですね。ある意味、今ある日本の公教育の在り方自体が、音の聞こえる子供前提に作られてるからこそ、そこに当てはめると遅れというのが出てくるんですけど、聞こえない子供の認知特性に合った教え方っていうのは本来存在しているはずで。要は文字情報よりもビジュアルで、例えば算数の授業とかで、図形とかがあったほうが見て分かったりするじゃないですか。結局それは聞こえない子どもだけじゃなくて、聞こえる子どもでも視覚優位の子どもにとってはそっちの方が逆に分かりやすかったり。そういうその子に合わせた伝え方とか表現の仕方のデザインみたいなものが、まだあまり考えられてないっていうことが個人的には問題かなと思っていて。ろうの子どもに合わせた教材だったりとか教え方みたいなものも、いくつか論文とかツールとしては存在してます。


ななこさん:耳が聞こえないからこその強みだったりとかもあると思うので、そこに特化した教科書があると良いですよね。


井戸上さん:そうですね。だからちょっとさっきも社内で話していたんですけど、やっぱり聞こえない子供は「日本語」っていうのにどうしても難しさっていうのがあるんです。やっぱり国語の教科書とかって日本語から背景を推測したり、作者の想い・意図みたいなものを答えないといけなかったりすると思うんですけど、働いているスタッフと話していても、やっぱりそこがすごく分からなくてちょっと嫌いになりそうだったみたいな話がでて。でも、「自分は漫画とかを通して日本語を覚えた」とか「人の心情の変化とかをイメージできるようになった」みたいな。そこにはビジュアル的な、見て分かるストーリーとか動きが漫画にはすごい付随していると思うんですよ。だから聞こえない子供の国語の学習とかは、もしかしたら、漫画とかそういうのが使えると、よりそういう心情の理解とか言葉の獲得とかにも繋がってくるのかなとか。そういう話をさっきちょうどしてましたね。


2 Silent Voiceに入られた経緯


ななこさん:そうですね、そういう漫画だと感情がこう、顔の表情に出ますし。なるほど、たしかに。ありがとうございます。じゃあ次の質問に行きます。活動を始めたきっかけについて教えてください。


井戸上さん:はい。ここはどういう回答したらよさそうですかね。これを立ち上げた理由とかですか、それとも僕がここに来た理由とかの方がいいですかね。


ななこさん:あの...…ご両親のことについてもう一度投稿したいなっていうふうに思うので、そちらのお話もそうですし会社の立ち上げについても、両方お話していただいてもよろしいですか?


井戸上さん:分かりました。えっと、一応僕自身はこのサイレントボイスっていう法人をゼロから立ち上げたメンバーではなくて途中から入ったメンバーのひとりで、今NPOの理事をやっているって形になります。

で、僕が何でここに来たのかっていう話を少し振り返ってお話しすると、もともと父親母親が耳が聞こえない「ろう者」で、今映画とかでも出ている「コーダ」っていう言葉聞いたことがあると思うんですけど、僕も聞こえない両親から生まれた聞こえる子どもとして、コーダとして、ずっと幼少期を過ごしていました。小さいころは自分がコーダであるっていうことだったりとか、コーダっていう言葉すらそもそも知らなかったんです。聞こえる両親の家庭で育ったことがないからこそ、何が他と違うのかっていうことを自分自身も分かっていなくて、ただ自分の父親母親は耳が聞こえないっていうそれだけの認識でしかいなかったんですよ。ただ、社会に出た時に、社会に出たというか小学校とか入って社会とつながりを持ち始めた時に、やたらと自分のことをほめてくる親戚の人たちの存在だったりとか...、お母さんの聞こえないっていう状況を作文に書いたときに、学校の中で表彰されてなんか「この子はすごい子だ」みたいなとか。その時は「お母さん」っていうテーマでみんなが書いた中で、ただ僕の思ったことを書いただけだったんですけど、なにか聞こえない両親がいることが社会にとっては少し違うものとして見られているんだな、みたいなことを小学校三年生くらいから気づき始めました。


井戸上さん:で、実際中学生高校生くらいになると、よりそういうことへの感度みたいなものが上がってきて、例えばおじいちゃんのお葬式に行った時に父親の上司の人が来てくれてて、僕を見て父親に言った一言が「お前にこんな立派な息子がいると思わなかった」みたいな、ある意味父親をこう下に見ているような発言をしてたんですよ。で、父親はそれに対して、にこやかに「はい、はい」みたいな感じで返事をしていて、そこでそもそもコミュニケーションが成り立ってなかったんですけど。なんか、「聞こえない人の、社会での生きづらさ・扱われ方ってどうなってるのかな」みたいなものを、怒りの気持ちとともに疑問に持ち始めたっていうのが、二十歳くらいのタイミングです。

とはいえ、一緒に過ごす中で自分にはできないことを両親はできる瞬間だったり、聞こえていない分独特な感覚とか感性を持っている父親母親の存在とかをたくさん見ていると、「これは本人に問題があるというよりかは周囲の環境が、その特性だったりとか強みみたいなものを発見できてないことが問題じゃないのかな」っていう仮説を幼少期の頃から持っていたっていうのはあるんですけど。


井戸上さん:福祉の領域に自分の仕事を決めようとかそこに身を置こうっていうのは、あんまり最初思ってなかったんですよ。ただ母親が末期がんになって、そういう、人の、家族の死のタイミングとかに向き合ったときに、自分自身の時間を使いたいところって何なのかなと思って。そこで、今まで感じてた「障がいに対しての見方」とか「当たり前って何なんだっけ」みたいなものに自分自身が仕事を通して応えていきたいなってふと沸き起こって感じた時に、障がい福祉の領域に入ってみようって思ったんです。ファーストキャリアはLITALICO(りたりこ)っていう会社です。その当時、ビジネスっていう形で福祉の世界を変えていこうっていう取り組みを最前線でやっていたところで、ここであれば今まであまり変わってこなかった聴覚障がいの課題とかを何か変えれるのかなって思って入っていたんですけど。まあ結論、やっぱりビジネスの世界なのでマーケットの大きさがすごい重要になる。そうなると、聞こえない人の数って千人に一人って言われているんですよ、中学校に一人いるかどうかみたいな。例えばそれくらいの母数のところに塾作っても人来ないじゃないですか。やっぱり僕の前職ではなかなか聴覚障がいでの領域での問題解決を事業としてやっていくってのは、やっぱりすごい難しくて。数十年かかるかもね、みたいな話があった時に、「ここにいる意味ってどれくらいあるのかな」みたいなことを自分自身ずっと思っていたタイミングで、自分が全国の放課後等デイサービスを回るっていう営業をしてて、僕が行ったわけじゃないんですけど、上司がこのサイレントボイスに営業をかけにきて代表と話したんです。そしたら代表も僕と同じコーダだったんですよ。


井戸上さん:で、部下にコーダの子がいるって話題になったらしくて、尾中っていうんですけど、「その井戸上ってやつに一回会ってみたい!」って言ってくれて出会ったっていうのが、サイレントボイスと初めて出会ったきっかけです。で、僕自身コーダと出会ったのが初めてでしたし、自分が疑問に思ったことを解決するための取り組みに近しいものを既に作ってるところがあるんだって、尾中さんと話しているうちに気づいて、もう速攻会社辞めてここ来ようって思って。はい、会社を辞めて今のサイレントボイスに来たっていう。


井戸上さん:「会社に入りたいな」って思った一番のきっかけが、たまたま子どもたちと一泊二日山に行って一緒にご飯作ったりキャンプファイヤーしたりするっていうキャンプに呼んでいただいた機会があったんですけど、夜キャンプファイヤーしてて子どもが「好きな子誰なん?」みたいなそういう話をする中で、最後に「自分が聞こえないってことに対してどう思ってる?」っていう質問をあるスタッフが投げかけたんですよ。僕も、親にもそういうこと聞いたことがなかったので、すごいその回答がどうなのかなってちょっとこうヒヤヒヤしながら楽しみに待ってたんですけど、結論、答えが半分に分かれたんですよね。


井戸上さん:「聞こえない自分が嫌だ」「聞こえるようになりたかった」っていう子供も半分。一方、「聞こえないから今の自分がある」「聞こえないからこういうことが今できてるんです」っていう肯定で言っている子どももいて。で、ここの違いが何なのかなってすごい考えたんですよ。何か体験がそもそも違うのかとか、家庭環境が違うのかなとか思いながら聞いてたんですけど、みんな体験してることって別にそんなに変わらないんですよね。小学校通って、中学通って、こういう習い事して、こういうコミュニティ見て…...。別にそこに差はない。そういう経験に差はないなら何が違ったのかなって考えると、要は、関わった周囲の人間・人からどんな言葉をもらったのか・どういう受け止め方をしてもらえたのかっていうことが違ったのかなって思ったんです。本人の能力とかできることとかに関係なく、出会う人を変えれば、子どもの障がいに対しての捉え方とかって良くも悪くも変えれるものなんだ、みたいな。「変わるんだ」ってことにすごい僕は衝撃を受けたんですよ。これって「障がいは環境にある」ってことと本当に同義だなっていうふうに思っていて、そこの環境側をデザインするってことに時間を使えると、僕自身の人生の意味みたいなものがそこから見つけられるのかなって思って、サイレントボイスに来たっていう流れになります


ななこさん:ありがとうございます。なんかやっぱり耳の聞こえないお子様の話がすごい衝撃的で、やっぱり周りが受け入れてくれるとか個性として認めてくれるかどうかで、その子供の生きやすさだったりとか肯定感が変わるっていうのだと、今、人の意識をちょっと変えるだけでデフの人も大分暮らしやすくなるのかなって思うと、やっぱりこの情報を提供していくっていうのは意味があるのかなって思いました。


井戸上さん:そうですね、はい。支援者になりましょうとか、手話できるようになりましょうとか、そんな大それたことは全然いらないと思ってて。多少の知識があるだけで聞こえない人と出会ったときに、なんだろう、こう、びっくりして逃げちゃう人がUDトーク(コミュニケーションアプリ)とかを使ってちょっと話してみようって思えたりとか、なんらかのボディランゲージを使って伝えようとしたりとか。そこの出来事ひとつだけでも、その人の体験・記憶に残るものがすごい違うなって思ってて。関わった人からしたらね些細な経験なのかもしれないですけど……。


井戸上さん:僕の父親の話ですごい覚えているのが、小学校の時にぼく野球部入ってたんですけど、練習に全然来てくれなかったんですよ。その理由が、今までろう学校で育ってきて会社も障がい者雇用で入って、そこの会社は人数も多かったので聞こえない人のコミュニティもある。だから聞こえる人のコミュニティに入って、何か成功体験を得た記憶が父親にはその当時なかった。だから「聞こえる人のコミュニティに入るのがすごく怖かった」みたいな話をしていたんですよね。でも、ある瞬間から急に練習に毎回来るようになって。それが、僕のすごい仲良かった同級生の男の子のお父さんが、なんの前触れもなく指文字を覚えてきて、父親と話したいっていう理由で、話しかけたっていう。その行為ひとつで、父親の「聞こえる人に対しての見え方がすごい180°くらい変わった。同じ人間なんだって本当に初めて思えた」とその時に言っていて。


井戸上さん:その相手の人からするとね、本を買って指文字を覚えたっていう、すごい言い方アレですけど、簡単な行動だったかもしれない。けどそれひとつで一人の世界の見え方すら変らえれるのかなって思うと、そのきっかけは今回のお話を見てくださった方とかにも起きたりするのかなと思うと、周囲の人の行動の一つがすごい大事なのかなと思いました。


ななこさん:やっぱりその小さな歩み寄りで心を開けるにも関わらずずっと閉ざしてきてしまったっていうのは、今までの冷たい対応をされたとかだったりとか、少し差別っぽいことを受けてきたっていうことで……、っていうことですよね。


井戸上さん:はい、そうですね。


ななこさん:ありがとうございます。次の質問なんですが、井戸上様がこの活動を通して、目標だったりがあれば教えてください。


3 今後の目標


井戸上さん:そうですね...。「よくわからない当たり前なくしたい」っていうのが、僕の中のテーマとしてすごい持ってます。これは今僕がやっている教育事業の中の子どもたちとかそのお母さんとかにも伝えたいメッセージだなと思いますし、一般社会に対しても言いたいテーマでもあります。具体的にいうと、社会に対してでいうと分かりやすいんですけど、「聞こえないから〇〇できないよね」とか、根拠もなく想像で言ってることとかすごいあるなって思ってるんですよ。「聞こえないから車運転できないよね」「クラクションとか聞こえないじゃん」とか。実際、免許取るときに聞こえないから本当に資格取れないとかあったりするんですよ。でもそれって本当にそうなの?みたいな。海外とか行くと、聞こえない人が乗れる方法みたいなものがあって、その人用にデザインされている事例が実際に合ったりとか。結構、「いや、これだったらできるんじゃない?」みたいなものが、問いが立ってなかっただけで、疑う余地がすごくある根拠のない一般論とか当たり前に社会が溢れてるのかなというふうに自分自身は思っていて。


井戸上さん:それを「聞こえない」っていう、ある意味五感の違いっていう視点から問い直すだけで、聞こえない人以外にも生きやすくなる人がうまれたりとか、選択肢が増える人が実際いたりするのかなっていう。だから社会に対しても思いますし、聞こえない子供に対しても同じように。「自分は聞こえないからこういう仕事できない」って実際思ったりするんですよ。「ほんまはゲームの解説のYouTuberになりたいけど、音聞こえへんからできひんねん、自分」みたいな。それ以外の方法をもし考えられたら、逆に差別化できたりするんじゃない?みたいな。思考のブロックがその子の行動を制限していたりとか、その思考のブロックを作っていたりするのはお父さんお母さんだったりとか。逆に、今まで出会ってきたろう学校の先生だったりとか。あとはメディアで流れている一般論だったりとか。だから子どもに情報が入ってくる要因っていうのは周囲の人たちの考え方にあると思ってるんです


井戸上さん:だからその子どもの周囲の可能性を閉ざさないような問いをどれだけ立てられるのかなっていうのが、今の子どもの教育事業だったりとか仕事の中で大事にしたいところかなって思っています。


4 今後していきたいこと


ななこさん:ありがとうございます。では次に、今後していきたいことがあったら教えてください。


井戸上さん:そうですね...。今まで、僕たちの教育活動って聞こえない者同士が繋がれる場所とか、聞こえない子供と聞こえない大人、または手話のできる大人が繋がれる場所っていう、そういう場所を作ってきました。それがそもそもなかったから、孤立している子どもの存在とかやっぱり情報が入ってこない子供の存在が目立っていたのでそういう場所を作ってきました。でも実際、子どもたちが社会に出た時に一緒に過ごしていく人達の大多数は聞こえる人たちだと思うんですよ。そうなった時に、やっぱりそういった色んな人がいる社会のなかで子どもが活躍できるとか自分らしい選択をできる状態を作ろうと思って。聞こえる子どもと聞こえない子どもが幼少期の頃から「一緒に学べる空間」だったりとか「体験できる場所」っていうのを、次のステップとして作っていきたいよねって話をいま会社の中でしています。外には「ろう学校」という聞こえない子どもが通う学校と、聞こえる子どもが通う「地域の学校」、だけじゃない、ちょうどその間の学校が存在しています。「Co-enrollment」という教育の考え方なんですけど、その定義でいうと「聞こえる子どもと聞こえないこどもが一定の割合でクラスの中に共存している」という状態を指します。3対1で聞こえる子どもと聞こえないこどもがクラスの中にいたりとか。まあ、割合はその学校の方針によって違うんですけど。


 

前編はここまで!続きは後編をcheck!!

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